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生成AIの進化が社会や産業の在り方を大きく変えつつある今、AIガバナンスの重要性はますます高まっています。企業がどのように技術とリスクのバランスを取りながら、価値創出と責任ある運用を両立させていくのか、その実践が問われています。AIガバナンス協会(AIGA)理事インタビュー第2弾となる今回は、リクルートホールディングス 取締役 兼 常務執行役員 兼 COOとして、グローバルにAI活用と向き合う瀬名波文野氏にインタビュー。人材事業を中心にAIの可能性と課題に向き合ってきた経験から、リクルートが実践する「攻めのガバナンス」のリアルに迫ります。
―― AIガバナンス協会にはどういう経緯で参画されましたか。
AIの活用は国や地域ごとに規制やルールが異なり、今後どう変化していくのか不確実性も大きい中で、グローバルに事業を展開する日本企業の代表としてAIガバナンス協会(AIGA)からお声がけいただいたのが始まりです。
AIは今、まさに大きな転換期。テクノロジー企業をはじめとしてあらゆる場所で技術開発が加速する一方で、イノベーションとリスクの双方を捉えた議論が必要です。日本でもマルチステークホルダーでの具体的な対話が始まりつつあるこのタイミングに経営視点から議論に関与できることは意義があると考え、理事として参画することを決めました。
―― AIガバナンスを担当されるに至ったきっかけと、一連のご経験からの気づきやAIに見出した可能性についてお聞かせください。
イギリスの派遣会社での社長やアメリカIndeed社のChief of Staffを務めた経験を通じて、人材事業におけるAIの可能性とリスクは強く認識していました。また、2018年頃からは国際会議においてAIと倫理というテーマが頻繁に取り上げられ、私もいくつかのセッションに参加したのですが、法的規制はまだ未成熟な上、法律にはなっていないもののユーザーさんが懸念を抱きうることをどうガバナンスするのかしないのか、など、リスクテーマとしてまだ新しく、難しい議論だなと感じていました。
その後、私がリクルートホールディングスで常務執行役員に就任した2020年4月に、CRO(Chief Risk Officer)の役割も担うことになったタイミングで、AIガバナンスの実装に本格的に着手することになりました。グローバルで5.9億人以上のユーザーが使ってくれるサービス*を持つ企業で、何をどこまで管理するのかは慎重に検討しなければいけません。そしてここ数年では、マルチモーダルの衝撃が大きかったですね。私たちの普段の生活の中でも超加速度的にAIの存在感が高まっており、数年で様々なことが一変してもおかしくないという感覚を持っています。当社にとっても極めて重要な局面であり、AIガバナンスも同様に、優先度高く取り組んでいきます。

―― リクルートではどのようなサービスでAIを活用してるのでしょうか。
生成AIに限らず、機械学習も含めたAIの活用はほとんどすべての主要サービスで行われています。当社はマッチングを提供するビジネスを展開しているので、そのマッチングの質をどこまで上げられるか、というのが勝負です。例えば、国内外の人材事業においては、求職者のスキルや経験と企業の求める要件とのマッチング精度向上や求職者への求人レコメンド機能の強化などに、積極的にAIを活用しています。
またサービス開発の場面だけでなく、顧客レポート作成の効率化や、ドキュメントの作成補助などといった社内業務の効率化はもちろん、社内での新規事業提案制度のサポートツールとして、自社開発した壁打ちツールなど、さまざまな活用を行っています。
――そういった中で、AI活用とガバナンスを両立させるために意識されているポイントを教えてください。
佐久間理事のインタビューの中でもありましたが、AI活用とガバナンスを両立させる上で最も意識しているのは、「攻めのガバナンス」という考え方です。AIは利便性を高める一方で、潜在的に負の側面も含む技術です。しかしAI戦国時代と言えるこのタイミングでAI活用における懸念ばかり見てしまうと、自由闊達な意見出しやプロダクト開発がやりにくくなり、イノベーションが阻害されてしまう。テクノロジー産業でビジネスをする当社にとっては死活問題です。だからこそ、リスクを見逃さないための仕組みが備わっていることは大前提であり、そのうえで挑戦を止めないという姿勢が求められます。守りと攻めのバランスを取りながら、両立を模索していくことが、今の時代におけるAIガバナンスの本質だと考えています。
―― では現在リクルートはどのようなAIガバナンス体制を整備しているのでしょうか。
リクルートグループでは、各事業会社が「Responsible AI」の方針を定めたうえで、プロダクトのリリース前には独立した専門組織による審査を行い、リリース後も継続的なモニタリングと必要に応じた是正対応を実施する仕組みを整えています。このようなガバナンスの仕組みの中で、専門組織による法的規制、社会潮流、そして技術動向などの最新情報を継続的にアップデートしており、近年経済産業省などでも提唱されている「アジャイルガバナンス」の考え方ととても近いと思います。
こうした守りの組織は、一般的には法務やリスク管理の専門人材が中心となることが多いのですが、当社の特徴は、これまでサービス開発の最前線で実行力を発揮してきたエンジニア出身の人材が、AIガバナンスの設計と運用の中核を担っている点です。テクノロジーに精通した人材が、単に「止める」「縛る」ことを目的とするのではなく、「どうすればイノベーションとAIガバナンスを両立できるか」を徹底的に考え抜き、プロダクトごとに最適な審査・モニタリング設計を行っています。AIガバナンスを制約としてではなく、「より良いサービスを生んでいくための仕組み」として捉えているのは、当社ならではだと感じています。
――運用を進める中での難しさはありますか?あるとしたらどのようなことでしょうか。
AIガバナンスを「より良いサービスを生み出すための仕組み」として設計している一方で、実際の運用においてはジレンマに直面することも少なくありません。なかでも特に難しいのは、AIガバナンスが時に経済合理性とのトレードオフになり得る点です。たとえば人材事業において、経済合理性だけを突き詰めれば、その職種に対して転職の決定力が高いと思われる年代や性別など、特定のセグメントにリソースを集中させた方が効率的です。しかし、年代や性別で機会が左右されるようなアンフェアな世界を我々は望んでいません。ユーザー一人ひとりに寄り添いながら、より多くの人に価値を届けたいと思っています。年齢や性別ではなくて、個人が持つスキル、経験、様々な適性によって就業が決まっていくことがフェアだと考えています。それがAIを活用することで、今までにない規模で実現できると信じてますし、バランスを欠いた安易な局所解に陥らないようにAIガバナンスを推進していきたいと思っています。
―― AIガバナンスに関心を持つ方や、協会参加を検討する方へメッセージをお願いします。
お伝えした通り、AIの活用は大きな可能性をもたらす一方で、ジレンマや葛藤を伴います。何を優先し、どこまでを許容するのか――その判断に、私たち自身も日々向き合い続けています。
AIGAは、業種や企業規模を超えて多様な立場のメンバーが集い、現場のリアルを踏まえた実践的な議論ができる貴重な場です。私たちリクルートグループにとっても、ガバナンスを社内で閉じるのではなく、外部との対話を通じて常にアップデートしていく機会は欠かせません。完璧な正解が存在しないからこそ、変化に応じてより良い選択肢を探り続ける。そのための共創の場として、多くの方に参加いただけることを願っています。
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